乳がん 入院~手術~退院

ここでは、「乳がん 入院~手術~退院」 に関する記事を紹介しています。

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乳がん闘病記22歳から不安神経症を患っていた私、予期不安のみになりリハビリの最中の 2010年に今度は乳がんに!!
このブログはその記録と日記を書いています。
2010年1月:43歳になる年、10回目の検診で右胸にしこり発見 。細胞診の結果良性 。
4月:3か月後の経過検査で見逃される。
5月:自ら受けた2度目の細胞診でほぼ癌と判明。
6月:告知、8月:右乳房温存手術
9・10月:放射線治療 11月からホルモン治療中。

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■2010年8月8日(日)/ 2011年2月11日記


昨日から病棟の廊下を散歩している。
幾分頭がぼーっとする感じがましになってきた。

なのに、担当医が病室に来てまた口をすべらせた。

「若いから抗がん剤を勧めるよ。
早期だからって、放射線、抗がん剤、ホルモン治療全て拒否した患者さん、
亡くなったからね~」と・・・・・


今だからわかる。
私、なにも放射線もホルモン治療も拒否してるんじゃなくて、
年齢は35歳で区切られているのに、なぜ私が病理結果が出る前から
抗がん剤が必要だと言われるのか、それがおかしいと言ってるだけなのだ。

しかも!

それをまだ入院中で、しかも!② 精神的に参っている患者に言うのか、
未だもって納得がいかない。

その口の軽さで、どれだけ患者が惑わされるのかわかってもらいたい!


****

退院の準備をし、ナースセンターでお世話になった看護師さんに挨拶をし、
エレベーターに乗り込む。

フラフラしているので、エレベーターに乗るのも心配だったが、
無事“地上”へ。

娑婆だ・・・・・


入院中、廊下に出るのが精一杯だった私。
コーヒーショップに行くことすら出来なかった。

そのコーヒーショップ前の中庭の芝生を踏みしめた途端、
涙があふれて止まらなくなってしまった。


生きて戻ってこれた!・・・



そして驚いたことに、多少のふらつきは残っているものの、
普通に歩けているのだ。

どれだけ13階で私は怯えていたのだろう。
閉鎖された空間で、心も閉ざして怯えていたのだ。

たった5日そこに居ただけなのに。
その5日はあまりにも大きくて・・・

5日ぶりに見た日常の風景に生きている実感が湧いてきて、
次から次へと涙が頬を伝ってきた。




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■2010年8月7日(土)/ 2011年2月5日 記


相変わらずだるい。
寝る前よりだるい。
頭もぼーっとして、フラフラしている。

担当医のY医師が病室へ。

前日のめまいは、やはり起立性低血圧では?と。
普段動いてないから、人よりだるいのかも知れないが、
食事やトイレに行くことも出来ているし、痛みや熱もひどくはない。
順調に回復していますよと言う。

要は精神的なものからだということ。

そして、今後の治療で抗がん剤が必要となったら怖いと、不安を討ったえると、
「若いから抗がん剤になると思うよ」と言うのだ。

なんで?
病院のHPには、35歳以下で区切りられているのに。
私は43歳。はるかに上じゃないか。

しかも、まだ病理結果も出てもいないのに、
なんでそんなこと今から言えるの?


9時半頃担当の看護師さんが病室へ。

一緒に胸の傷を見てもらえないかお願いした。
私のがんは右の斜め下、外側で乳首からも離れた場所で、
上から見下ろすだけでは見えないのだ。

寝巻きを開け、鏡で見てみる。

・・・・胸が下半分ない!

「それほどひどく変形してないですよ~。上側の患者さんだと
変形もひどいんですけどね。」

そう看護師さんは言うが、そんなのなんの慰めにもならない。
いろんな人の胸を見てるから比較してそう言うだけ。
私は自分の胸しか知らないし、自分の胸が“全て”なんだ。

傷の上から白いテープを短く切ったものが、
いくつか傷と垂直に貼られているが、傷は猫がひっかいたような細い傷で、
これは予想していたものとは違って、とても目立たない。

問題は乳輪と乳首。
乳輪の周り5㎜ほどの外側の皮膚から、ぽっこり浮き出てしまっているのだ。
乳輪と乳首が。

そして乳輪は腫れぼったく健側より大きく、色も茶色くなってしまっている。

肝心の胸自体は、がんのあった右下外側(何域と言うんだろ・・・後で調べます)
が、スパッとなくなっている。

私の胸は昔、左の方が大きかった。
なのに10年くらい前から、左は加齢でしぼんだのに、
右だけはそのままで、大きさが左右逆転してしまっていた。

その大きい方の胸の、下の外側がない状態なので、
上の外側の膨らみが目立ってしまっている。

あれだけの乳腺をごっそり摂ったのに、まだ右の方が大きい。
がんのある方の胸が大きいという話、あながち推測で終わらないかも。



看護師さんが病室を出てから、一人泣いた。

術後の体調が思わしくないところへ、
抗がん剤になるだろうという、担当医の心ない言葉と、
変わり果てた胸を見て、泣いた。


もう、私の胸はない。


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■2010年8月6日(金)/ 2011年2月4日 記


この日の朝食から食事を摂れるようになる。
点滴と尿カテーテルも取れた。

トイレは個室でも部屋にない為、一回目は看護師さんに付き添ってもらう。
信じられないくらい、フラフラ。
足もグラグラするし、頭もぼーーとしている。
まだ麻酔がかかってるんじゃないかって思うくらい。

トイレはその後一人で行けるようになる。

術後翌日なのに、母がいつものようにつっかってきて、
喧嘩になってしまい、両親は午後2時に帰宅した。
我が家は母子の確執が、、、それはまた別の機会に・・・・

午後3時。看護師さんが来客を案内してきた。
伯父だ。近くで絵手紙の個展をしていて、その帰りに見舞ってくれたのだ。

伯父は10年前胃ガンの手術をしている。
この人、術前に体力をつけなければと、院内の階段で筋力をつけたり、
手術前日にもカツ丼食べていたらしい。
その根性見習いくらいだ。

15時半、伯父が帰ってすぐ、また微熱が出た為、氷枕を作ってもらう。
熱は同じく37.5度。


16時、少し頭を動かしたら、めまいが!

すぐに治まったが、驚いてまたナースコールを押す。
が、何もすることもなく、精神科で貰っている起立性低血圧の漢方薬、
ツムラの39番を夕飯後から飲むことにした。
 ここずっと飲んでいなかったのだが。

19時、T主治医が病室へ。
めまいの不安を討ったえる。
「起立性低血圧じゃないかな~」と言うので、
「寝ているのに、起立性ですか?」と返すと、
「するどい!」
でもその後に「疲れからかもよ」と。

しかし、なぜこんなにふらつくのだろうか?
頭もぼーと霧がかかったよう。
看護師さんも担当医も、手術したばかりですからねと言うだけ。
やはり不安神経症の予期不安で元々ふらついているからだろうか?
自律神経もまともじゃないだろうし。

この日は一日、ベッドの上で空(くう)を眺めていた。






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■2010年8月5日(木)/ 2011年1月16日 記


夢を見ていた。

するとどこから「終わりましたよー」の声が。
終わった?・・・・

「手術してたの? 終わった?」
「終わりましたからね」

そうだ、手術台にのぼったんだった。
終わった。あれほど怖かった手術が終わったんだ。

そして生きてる。

安心したら、涙があふれてきて声を出して泣いてしまった。

実は入院前に彼に手紙を書こうか迷ってたのだ。
万が一、麻酔事故で生きて戻れなかったら、
彼に言えなかった気持ちを伝えずに仕舞いになってしまう。

あなたが20年以上前に、私にしてくれたことをずっと忘れたことはなかったと、
そしてまた今一緒に居られることが、すごく嬉しかったと
伝えずに死ねないと思ったから。

結局手紙は書かなかった。
そうすれば絶対生きて戻らなければと思えるから。



「涙拭きましょうね」

誰だろう。涙を拭いてくれたのは。

「ドレーンなしー!」と言う声も聞こえてきたが、
怖くて確認出来なかった。なし・・リンパ転移はなかったということだよね?


それからしばらくして、病室へ戻ることになった。

そこからが問題。
常にふわふわと浮遊感のある私は、ストレッチャーでの移動で酔ってしまうのだ。

「気持ち悪い。あああ・・・ゆっくりお願いしま・・気持ちが悪いー」と
手で空をつかみながら、叫んでいると誰かが手を握ってこう言った。

「抵抗すると余計に気持ち悪くなりますよ。揺れに体を任せて!」

そこからは無抵抗で吐き気と戦った。

病室に戻ると、「いち、にー、さん」とベッドに移された。
吐き気止めを点滴に入れて貰うよう頼んだので、じきに吐き気はおさまった。

リンパ転移はあったんだろうか。聴くのが怖いから脇を自ら触ったら、
「触ってだめ」と叱られてしまったので、
「リンパは、リンパに転移は!」と訊ねると、
「転移はありませんでしたよ」と言われた。

その一言で、一気に安心した。

目を開けていられないので、それから数時間うつらうつらしたが、
左手の甲に点滴、そして尿カテーテルもつけているので、
痛いやら気になるやらで、眠ることは出来なかった。

病室に戻ったのが多分11時過ぎで、
やっと目が開けられたのが、午後の3時半頃。

一番に彼に電話をした。(個室なので携帯電話の使用は可)

「もしもし私、終わったから、転移もなかったから」
「良かったな。ゆっくり休んでな」


その後に病気のことを話してある友達数人にメールをした。
ネッ友の弟からは、「めでたい!酒はやめたが今日は祝い酒だ!」と返信が来た。
弟は、私が手術中、ずっと座禅を組むと言ってたくらい熱い奴なのだ。

夕食は食べていいと許可は出ていたが、それまでずっと横になっていたので、
ベッドに座ったが、だるくて仕方ないので水を飲むだけに留めておいて、
またすぐに横になった。
この日は微熱が出た。(37.5度)術後よくあることだとか。
その夜は不安なので、母に泊まってもらったが、
結局また眠れずに朝を迎えた。


※術後は緑の腕輪。手の甲の点滴が痛い。
酸素マスクは確か夕方取れたような?
手術後 


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■2010年8月5日(木)/2011年1月13日 記

ついにやってきた手術当日。
昨夜はほとんど眠れなかった。
朝食もろくに取れず、吐き気でえずいてばかりいた。

トイレに行く時も、このまま逃げようかと
この期に及んで前向きになれない私。

だが、そんなこと出来る訳もなく、8時半スタートの為病室を10分に出発した。
術前に眠くなる注射をするでもなく、車イスに乗るでもなく、
看護師さんに付き添われ、歩いて行った。
病院には両親以外来ていないので、両親もあとをついてきた。

手術室へ入る直前、母が私の背中をバチーーンと叩いて
「頑張って」と言ったのだが、相変わらずの無神経さに腹が立って、
きつく言い返してしまった。
看護師さんに悪いことをしたなと反省。


さあ、もう逃げることは出来ない。手術室へ向かう大きな自動ドアが開いた。
入ってすぐのガラーンとしたホールに、
何人かの白衣にマスク姿の、若い男女がいた。
まだ大学を出てすぐじゃないかと思うくらい若い。

順番に挨拶をされるが、麻酔で眠る私には関係のないこと。
緊張していて、それどころではない。

挨拶が終わると、昨日手術の説明をしに病室へ来ていた女性が、
私の手を取り、手術室へと向かう。
そこは銀色一色のような部屋。
想像以上に広く殺風景で、真ん中に手術台がある。
その周りには何やら機械がいっぱい。

手術台に寝かされた私の視界に入ったのは、昨日病室に血液を取りに来た医師。
え?あなたも執刀するの?

「あの~、T先生は?」とその医師に尋ねると、
「あそこにいるよ」と教えてくれた。

「入口のドアはどうします?閉めるとこんな感じです。
麻酔効くまで開けておきましょうか?」と訊かれ、そうして貰うことにした。

(ああ、早くおっ始めておくれ)

そう思っていると、体にバスタオルをかけられた。手術着を取ると言う。
別に今から真っ裸にされて切られるのに、隠すこともないのにと思った。

左手の甲に点滴を刺された。
その後にあれこれつけようとしていたその時、
天井が動きだした。

めまいだ・・・

「先生ーー、めまいがします。ああ、どうしたらいいんですかー」
「これ、酸素マスクだから、大きく吸って」

口にマスクをあてがわれ、酸素吸入すればめまいが治るんだと思い、
大きく息を吸ったところで記憶がなくなった・・・・・・


2へ続く


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